90sの思い出 Vol.2

95年春、僕の浪人生活が始まった。高校2年の後半から受験勉強を始め、「偏差値40からの大学受験『慶応進学会』」の偏差値40さえあるのかどうか不明だったので、受かる大学など無いのは当然と言えば、当然だった。

「Hot-Dog PRESSやPOPEYEには早慶をはじめMARCH、日東駒専らの関東の私大付属高の奴らがよく載っていて、なんとなくオシャレだし羨ましいから東京の大学に入る。」というある意味一本気かつ純粋な「遊学」を目的としたする目的だけに日々を費やす一年となった。

とは言え、制服のある高校生活からの毎日私服の生活は楽しみであった。
高校はブレザー校だったが、ブレザーは学校に置きっぱなしで革ジャンで投稿していたし、「学校見学のために都内に行く交通費をくれ」と親にせがみ、実際は渋谷・原宿の洋服屋をめぐりまくるという技を使うのはさすがに回数が限られていたため、欲しかった「パイドパイパー(当時、渋谷の並木橋にあった「亀石三兄弟の人のお店)」の塩ビ素材のブルゾンは通販で購入した。塩ビなので暖かくなる時期はとても蒸れた。ジーンズは地元に扱いが合った商品の中で「ハリウッドランチマーケット」のレプリカヴィンテージを買った。色落ちを進めるために毎日履くことはもちろん睡眠時も着用した。

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※ネットにあった。ハリウッドランチマーケットのpp4の革パッチ。多分ノンウォッシュ状態と思われる。

高校3年時は親の懐事情も気にしつつ昔からある地元の教育委員会とズブズブで教師が天下るという噂がある予備校を選んでいたのだが、今度は全国展開している予備校に親に頼み込んで変えてもらった。全国展開の予備校はタレント講師も多ったし、「特訓コース」というクラスがあったので「人生変えるチャンス」というか背水の陣で臨んだつもりでもある。(今思い返すと「今でしょ!」で一躍著名人となった林修先生など個性の強い予備校講師の授業を受けることが出来たのは良い思い出である。ただ当時の林先生は「話おもしろいけど、自慢ばっかりしている」人の印象が強かった。が、おかげで偏差値を多少上昇させることになる。)

予備校というのは今まで親元でヌクヌク暮らしてきた僕にとっては初めて「自己責任」での生活となることもあり、周りにいたろくでなしたちは「家で勉強するわ」というわかりやすい嘘を最後に夏までにあっという間に予備校に来なくなった。

唯一、同じ高校のスポーツマンだったIという男とつるんでいた。「この一年だけ我慢して頑張ろう」と励まし合っていたが、秋が差し掛かる頃、Iには女が出来た。Iにとって初めての彼女である予備校に隣の市から通ってきているショートカットで背の小さい女だった。ややコロっとした体系で服装はモサッとした感じだったが、顔は可愛いらしい顔をしていた。

Iはスポーツマンで性格も気持ちのよい奴だったし、受験の時期でなければ「おめでとう」そして「僕にも女の子紹介してよ~」という単純にハッピーな展開なんだろう。

だが僕は友人を認めることが出来なかった。僕は現状を打破するためにその時生きていたので、また受験失敗という結果を何よりも恐れていた。それを友人としてIも同じ思いを持っているだろうと勝手に思っていたのだ。なんだか自分だけ糞真面目に考えているのかなと思ったら情けなくて涙が出てきた。

是が非でも春に凹みたくない。Iとの友人関係は速攻微妙になった。
そんなことを気にしている場合ではないのだが、うまく喋れない。しかも他の奴からの話を聞いたところによるとIの偏差値が上がり、志望校の判定が「A」が出たと聞く。焦りしか無い。一方僕は予備校の授業以外は自習室に篭もることを続けたが、模試の結果は一向に芳しい結果は出ず、志望校の合格判定で一度だけ「B」判定が出た以外は散々な結果だった。

「もうこれは『理由なき反抗』しかすべはない」と僕は行動に出た。

96年の入試は「最後の受験戦争」と呼ばれており、「子供が多い時代の受験」だったので地方の予備校でも羽振りがよく9階建てのビルをまるまる使っていた。サテライト(中継)授業専用の階という「あまり人が寄り付かない階(普通は直接講師から授業を受けるのがスタンダートなので)」があり、僕はそのフロアのトイレでオナニーをした。

「人が少ない=イチャイチャしているカップルもよくいるらしい」という噂が更に僕の反抗心をかきたて、受験が終わるまで結構な回数「オナニー」をしていた。若いのでよく出た。イライラとともに「オナニーしまくってた既成事実作っておけば、その後面白いかなぁ」というのも正直な気持ちだった。回数を重ねることに今まで感じたことのない「情けなさ」を感じた。

当時、それ以外のストレス解消は父親曰く「ヤクザが経営」というビリヤード場に一人で一時間プレイするくらいしかしていなかった。

春が来て、Iには聞いたことのない地域の聞いたことない学校に進学すると言われた。その女の進む学校とは電車で片道3時間かかるらしかった。
「小旅行みたいなもんだなぁ」という感想をIには伝えた。

僕は志望校の一つに引っかかった。ただ4年間通う校舎は神奈川だったため「東京の大学」とは言いがたかったが、「まぁいいや」と思いながら、約1年ぶりに「マルボロライト」を吸った。相変わらず旨かった。

「受験は水物」というがあれは頭の良い人間たちが対象である。当然だけど、馬鹿がサボれば結果は出ない。後、「抜くととってもクレバーなテンションになれる」のはなんだなんだろうね。